「つくるということ」

siesta0032010-11-14

紆余曲折しながら約10年間、社会人として、(つまりは、儲けを出すための)”建築”と付き合ってきた私。世の中の美しく無い現実をまざまざと突きつけられ続け、愕然とし続けながら、いつの間にやら私はあきらめる事を知って大人になった。が、あきらめきれない思いを私は隠し持っている。怒りのようなその強い思いは、私のお腹の奥底で小さく燃えている。

儲け至上主義で進められてゆくプロセスや、うわべだけのデザイン、言葉だけが一人歩きして中身の何も無いもの、をデザインと思っている人間達に対し、毎日イライラしながら仕事をしている。裁量権を与えられたほんの小さな部分に魂をぶちこむ事で、何とか乗り切っている。

そんな折、青山ブックセンターで、ふと目にとまったのが『菊地敦己 連続対談「つくるということ」』のポスター。4年位前に、青森県立美術館が建築雑誌に掲載されていたのを見たのがきっかけで、菊地敦己さんという存在を私ははじめて知った。建物とサインの融合に強烈なインパクトを受けた。そして、強烈に惚れた。そして、それ見たさに竣工1ヶ月後には青森まで遠路はるばる見に行ってしまった。

その後、私の担当した複合施設の案件でもサインデザイナーを起用しVI的なものを考えてもらう事になった。しかし出来上がって見ると、何かが違う、何かが物足りない、何かが薄っぺらい。別の場所に建つ、別の建物にそのサインがあっても何らおかしく無い、と思える所が、物足りなく思う理由だと思った。

第1回ゲスト青木淳(建築家)の回を聴きに行った。なぜ、青森県立美術館のサインが私をこんなにも惹き付けたのか、、、、。建築を理解しようと努めていたり、こういう建築だからサインはこうあるべきと考える菊地さんの真摯な姿勢が、あのサインの底知れぬ魅力を生み出したのか、と思う。この企画によせて、彼は長い文章を記している。”孤独と戦うことは世界と戦うことでもある””討ち死に覚悟で本気で話します。”私のお腹の奥底で燃えている小さな何かが、ピリリと反応した。

昨日は、第2回ゲスト小池一子さん。大変興味深いお話を聞けて、美味しいものを食べた後のような良い気分になった。最後のほう、小池さんの”世の中にある女性誌を全部燃やしてやりたい”という暴言に、胸がスカッとする思いだった。ほんとほんと、女性誌ばかりで無く、醜いうすっぺらいもの全部(人も物も建物も)燃やしてやりたいデスね。

菊地さんも、負けじと(小池さんほどの暴言ではないが)、例えば、展覧会の開催にあたっての紹介の文章、どこの展覧会に行っても皆つまらない文章だ、とか、都市の再開発もなんたらヒルズとありきたりのものばかりで夢が無い、とか、、、。あぁもう激しく同意。全てにおいて、今の”ものつくり”って心がこもっていないですものね。作り手の気持ち(魂?)が全く見えない!はぁ、菊地さんと飲みに行きたいなぁ。

次回第三回は、スタイリストの大森よ佑子さん。オリーブ少女OGとしては必須の回であるが、ぼんやりしていたら満員御礼、チケット完売してしまった。社会に荒波に揉まれ腹の据わった30代の元オリーブ少女の私は、チケット無くともキャンセル狙って当日現場へ行くつもりだ。