生の芸術 アール・ブリュット展

日暮れ時、銀座の「ハウスオブシセイドウ」にて開催されていた『生の芸術 アール・ブリュット展』最終日へ。彼らが描き出す世界は、美しかったり、おどろおどろしかったり、悲しげだったり、苦しげだったり、現代アートのようだったり、、、、驚きの連続だ。その作品の中に、彼らの生い立ちを重ね合わせて見ると、感慨深さ、きわまりない。


驚くべき、作家達の生い立ち(パンフレットより抜粋)

  • ヤンコ・ドムシッチ(1915-1983 クロアチア/フランス)

ドムシッチについて詳しいことはわかっていない。クロアチア生まれで、1935年にはフランスで鉄道工事に携わったとされる。パリで迎えた晩年は貧しく、老齢年金の受給トラブルと著作を盗まれるという被害妄想に悩まされた。

  • ジャン・フィック(1887-1958 フランス)

ジャン・フィックについてわかっていることは、この小さな手帳の裏側に書かれていることだけだ。「フィック ジャン 1876年11月23日生まれ。病院-兵士。1898年10月13日-1900年9月13日-RM57-WESE戦争9.14-4.8.1.4.1917.7.健康 負傷 傷疾軍人フィックJ 結婚デレス 夫。1902年4月29日。病院・・・・」。手帳の表紙には「ジャン・フィック 大使23番」とある。

  • ニキフォール(?-1968 ポーランド)

母親は乞食とも売春婦とも言われ、父親は不明。幼くして孤児になると、湯治客で賑わう温泉町クリニツァ近郊で乞食をして歩く。肺結核を煩い、入院中に医師からもらった絵の具で絵を描き始める。包装紙やノートの切れ端、煙草の箱に描いた絵を売って、食事と寝る場所を得る。地元の人々は好意的、絵を描くことはニキフォールの生き甲斐となる。

  • アドルフ・ヴィルフリ(1864-1930 スイス)

8歳で孤児となり、不幸な子供時代を送る。幼女に対する3度の悪戯事件を起こし、ベルンのヴァルダウ精神病院に収容される。1895年のことだった。1900年頃から独房にこもり、壮大な著述と絵画制作、作曲に没頭する。『揺り篭から墓場まで』と題した架空の自伝は25,000ページにおよび、子供時代の自分ドゥフィを主人公とした地理的探検から、聖アドルフの宇宙征服へと飛躍し、最後には自分の死を弔う葬送行進曲まで準備した。